農業いばらきは昭和24年(1949年)協同農業普及事業の技術資料として発刊され、平成30年で70巻の発刊となります。時代とともに変化する農業を見つめ、農家の皆さまと共に歩んできました。ここでは、表紙や内容から、農業いばらきが歩んできた70年を振り返ってみましょう。

昭和20年代(1945年~)

 
昭和21年夏、茨城県農業技術研究会の発足を機に、その機関紙として創刊されました。
その頃は、月刊紙ではなく、いつ出るかも決まっていませんでした。
また、10ページ前後で、内容も技術記事が何本か掲載されているだけでした。
昭和22年10月に4・5合併号で指導農場制度の廃止と共に中断されました。
昭和24年の協同農業普及事業の発足と共に、県庁に農業改良課が設置されました。普及事業の技術資料として「農業茨城」が、復刊されました。
復刊の言葉「どうかこのささやかな雑誌が号を重ねる毎に、その内容を充實し眞にこの役割を果たしうるものに生長しうるよう・・・・」とあります。これは、今も同じ思いです。
会費は1ヵ月30円でした。
 

昭和30年代(1955年~)

昭和30年代の表紙は、地域の農家の女性たちが登場します。年中行事も折りこまれ当時の様子がよく分かります。そして、ファッションやヘアスタイルなどなつかしいと思う方、新鮮に感じる方、もしかして私!?と思い出した方もいるのでは?
特集記事の中には「我が家に嫁を迎えたら」「私はこんな農家に嫁ぎたい」「私はこんな女性と結婚したい」とそれぞれの立場からの座談会があり、これは今読んでも興味深いものです。
また、「農村の親子の対立をどうとくか」「愛育相談(子供のしつけ)」「かまどのある台所」「ガラス障子の作り方」「電気器具の直し方」など農業技術と共に生活全般についての記事も多いです。
 
 
 

 
 
昭和36年から1ヵ月の会費は50円に。
広告は手描きの文字やイラスト等が多く、とてもインパクトがあります。
孵化場や養鶏場の広告が多く、本文中の記事も養鶏が扱われたものが多くみられます。
 
 
 

昭和40年代(1965年~)

 

創刊号からずっとA5判でしたが、昭和45年からはB5判と大きくなりました。
それと同時に、まんが家白吉辰三氏の絵が表紙を飾ることになりました。
 
電化製品が普及し始めたこの時代
「冷蔵庫の目的は」(昭和43年)という質問も。
「テレビの見方」も紹介されています。
食生活も変り始めてきました。栄養についても書かれています。
「素人にできるふすまの張り方」など、生活の中で必要な道具や作業は自分たちで作る時代。詳しく作り方が書いてあります。
昭和42年1月号から、表紙を飾ってきた白吉辰三氏の漫画「ほがらか一家」の連載がスタート。
 

昭和50年代(1975年~)


約30年前です。かなり昔と言う感じはなくなってきました。
昭和51年1月号には、現在の安倍首相の実父である故 安倍晋太郎氏が、農林大臣として登場していました。
 

昭和60年代(1985年~)


つくばの科学万博覚えていますか?
昭和60年には、「科学万博の見どころ」農業部門を中心に、トマトの木や植物工場装置などの紹介があります。
そして、昭和61年には、「茨城県農業技術研究会」が「茨城県農業改良協会」として発足し、事務局は農協会館内に設けられました。
 

平成元年~(1989年~)


昭和64年(平成元年)からは、表紙が桧山栄氏の絵になりました。
平成3年から巻頭がカラーページになり、大田市場花き部が紹介されました。
平成4年からは、県内の農家が育てた花や野菜、果物が表紙を飾ります。
平成4年7月に茨城県農業総合センターが設置されました。
平成5年8月号の発刊からは農業改良協会も同センター園芸研究所内に移りました。
 

平成10年代(1998年~)


農業改良普及員による県内の風景写真から未来を担う青少年、生産組織や元気な女性たちへ表紙が変わっていきます。
平成17年には「農業茨城」から親しみやすい「農業いばらき」へとやわらかい印象に変わりました。
 
 

平成20年代(2008年~)


平成20年で創刊60年をむかえました。1月号は60年の歴史を振りかえる記念号です。
平成22年からは、B5判からA4判へサイズも大きくなりました。
平成26年からはカラーページもグッと増えました。