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農業いばらきのあゆみ(昭和20〜30年代)

農業いばらきは昭和24年協同農業普及事業の技術資料として発刊され、平成19年で59巻の発刊となります。
時代とともに変化する農業を見つめ、農家の皆さまと共に歩んできました。
ここでは、表紙や内容から、農業いばらきが歩んできた59年を振り返ってみましょう。

昭和20年代(1945年〜)

昭和21年夏、茨城県農業技術研究会の発足を機に、その機関紙として創刊されました。
その頃は、月刊紙ではなく、いつ出るかも決まっていませんでした。
また、10ページ前後で、内容も技術記事が何本か掲載されているだけでした。
昭和22年10月に4・5合併号で指導農場制度の廃止と共に中断されました。


昭和24年の協同農業普及事業の発足と共に、県庁に農業改良課が設置されました。普及事業の技術資料として「農業茨城」が、復刊されました。
復刊の言葉「どうかこのささやかな雑誌が号を重ねる毎に、その内容を充實し眞にこの役割を果たしうるものに生長しうるよう・・・・」とあります。これは、今も同じ思いです。
会費は1ヵ月30円でした。

昭和30年代(1955年〜)

昭和30年代の表紙は、地域の農家の女性たちが登場します。年中行事も折りこまれ当時の様子がよく分かります。そして、ファッションやヘアスタイルなどなつかしいと思う方、新鮮に感じる方、もしかして私!?と思い出した方もいるのでは?

特集記事の中には「我が家に嫁を迎えたら」「私はこんな農家に嫁ぎたい」「私はこんな女性と結婚したい」とそれぞれの立場からの座談会があり、これは今読んでも興味深いものです。

また、「農村の親子の対立をどうとくか」「愛育相談(子供のしつけ)」「かまどのある台所」「ガラス障子の作り方」「電気器具の直し方」など農業技術と共に生活全般についての記事も多いです。

昭和36年から1ヵ月の会費は50円に。

農業いばらき内広告−昭和30年代
広告は手描きの文字やイラスト等が多く、とてもインパクトがあります。
孵化場や養鶏場の広告が多く、本文中の記事も養鶏が扱われたものが多くみられます。