山口貴広さんは、稲敷市で108ha(2022年産)の水稲作を経営する「YAMAGUCHI farm株式会社」代表取締役社長として活動しています。山口さんは今年で40歳。農地の集積・集約化やスマート農業の実装に取り組み、効率的な経営を実践する若手経営者です。山口さんはその革新的な取組から、これまでいろいろな媒体で紹介されてきました。月刊誌「農業いばらき」でも「特集」記事(2021年10月号)で取り上げています。
今回は、経営発展の過程で必ず訪れる「転機」に際して、経営者としてどのように考え決断したのか。そのあたりを中心にお話を伺いました。
年 | 経営面積 (ha) |
出来事 |
---|---|---|
2005 | 10 | ・水稲作と外壁工事の仕事の兼業 |
2012 | 12 | ・父から経営を引き継ぐ ・水稲専作経営への転換を始める |
2017 | ・JGAP取得 | |
2018 | 33 | ・茨城モデル水稲メガファーム育成事業 (県等が中心となり、100ha超の水稲経営体を3年で育成する支援事業) ・青年農業士に認定 |
2019 | 50 | ・法人化(YAMAGUCHI farm株式会社設立) ・スマート農業実証プロジェクト参画 |
2020 | 68 | |
2021 | 107 | ・水稲メガファーム育成事業目標(100ha)達成 |
2023 | 110 | ・今年で40歳 |
兼業農家から水稲専作経営への転換
山口さんは1839年から続く米づくり農家に生まれました。1年間外で働いた後、2005年、21歳の時に家業の手伝いを始めました。当時の山口家は、10haほどの水稲作と建物の外壁工事の仕事を行う「兼業農家」でした。
2012年、28歳の時に、お父様から経営を引き継いだのを機に、外壁工事の仕事を減らし、水稲専作経営へと転換していきました。その理由をたずねると、「率直に言って農業のほうが楽しかったから。大きなお金が動き、やり方次第では稼げると考えたから」とのこと。
経営を引き継ぐまでの「修行時代」は、「作業や機械の操作は父から、米づくりの具体的な流れは祖母から教わった。振りかえると、苗づくりや水管理に限らず地域の昔の米づくりのことなど祖母から学ぶことは多かった」と言います。ところで、山口さんの祖母様は、90歳を過ぎてなおご健在とのこと。家族総出での田植えや収穫など、米作り体験が、山口さんの「原風景」となっています。
限られた面積で高収益を
2012年に経営を引き継いだ時点での面積は12~13ha程度。それを、親戚や地域の知り合いに声をかけながら徐々に増やしていきました。しかし、まだ「稼げる面積」には至っていなかったことから、まず、単位面積当たりの収量を上げることに取り組みました。土づくりや施肥方法などの栽培管理技術は、普及センターの指導を受けました。具体的には、施肥体系を基肥一発肥料から基肥+追肥体系に転換しました。流し込み施肥など新しい技術を取り入れて、水稲の生育を診ながら最適な栽培管理ができるように改善しました。この時期に、山口さんは米作りの腕を磨いていったと言えます。
JGAPの認証を受ける
2017年、東京2020オリンピック・パラリンピックでの取り扱いを目指し、山口さんの農場は「JGAP」の認証を受けました。結果的には、オリンピックとは結びつきませんでしたが、JGAPに取り組むことにより、毎日の作業や資材の流れなどを記録として残す癖が付いたそうです。これは、補助事業を受ける時などの書類作成に役立ちました。
もともと几帳面な性格の山口さんですが、JGAPに取り組むことで得た「記録に残す癖」は、後述する「スマート農業実証プロジェクト」でも大いに役立ちました。
転機となった「茨城モデル水稲メガファーム育成事業」
農地を拡大しながら水稲の技術を磨いていた山口さんに転機が訪れました。「茨城モデル水稲メガファーム育成事業」への応募を決断したことです。これは、県等が中心となって100ha超の水稲経営体を3年で育成する支援事業です。そして、2018年にこの事業に参画し100ha超の経営を目指すこととしました。この時点での経営面積は33haでした。
山口さんがごく短期間で経営面積を拡大するメガファーム育成事業への応募を決断した理由は、「周囲に100ha超の経営体が存在しており、自分もそこに早くたどり着きたかった。若いうちに100haを達成することで見えてくる景色を早く見たい。そして次のステップに踏み出したい」と考えたからだそうです。
急激な規模拡大には、機械や施設など大きな投資が必要となります。また、必ず成功するという保証もありません。天候などの影響で収穫がうまくいかないことへの不安はあったものの、「やらないで後悔したくない。やらなかったことによる後悔は人生の中で最も避けたい。」という強い気持ちが山口さんのチャレンジを後押ししました。そんな山口さんの気持ちを理解し、ご両親も協力を約束してくれました。
結果として、水稲経営面積は、2019年50ha、2020年68haと着実に増え、2021年には107haと目標の100ha超を達成しました。山口さん37歳の時でした。
成功の背景には、山口さんのこれまで培った優れた栽培技術や経営管理手法に加えて、「稲敷市(農政課、農業委員会)、農地中間管理機構、茨城県県南農林事務所(企画調整部門、稲敷地域農業改良普及センター)が推進チームを組み、耕作者や地権者に対する説明会や個別訪問を行うなど、農地の集積・集約化を強力に支援してくれたこと。そして、何よりも地域の方々がメガファーム育成事業の趣旨をよく理解してくれ、大事な農地を快く自分に任せてくれたことが本当に大きく、今でも感謝しています。」と振り返ります。個別訪問等には山口さん自身も参加し、地域の方に自分を知ってもらうとともに、地域の状況を把握し、地域の方から信頼を得られるように努めました。
100haを限られた人数で耕作するためには、農地を集める(集積)だけでなく、分散している農地を1か所に集約することが大切な条件です。それに伴い1区画を大きくすることで、大型の作業機を導入でき、作業速度が格段に向上することを実感しました。
メガファーム育成事業を機に法人化
メガファーム育成事業に参画していた2019年に、経営を法人化し「YAMAGUCHI farm株式会社」を設立し、代表取締役社長に就任しました。法人化に踏み切った理由については、「メガファーム育成事業を受け、雇用を確保して人を増やしていく必要に迫られたこと、その際個人事業主のところよりも会社に働きに来たほうが労務管理の面で働きやすい環境を提供できると考えたから」だそうです。また「取引に際して信用が得られやすいというメリットがあり、経営規模が大きくなることを見据えて法人化を行うのには最適なタイミングだった。」と振り返ります。
実際に、法人化を契機に二人目の従業員(常時雇用)を確保でき、取引も対法人の割合が増えるなど、山口さんの経営は着実に成長していきました。
しかし、実際の社長業は、農作業をこなしながら、人材を見つけて育成し、資金調達もしなければならず、そのための事務作業も大変でした。特に困ったのは社長になったという実感がもてず、社長とはどのように考え、どう行動するのか「社長の普通」がわからなかったことです。そこで、同業者に話を聴き、異業種の社長さんたちと交流する機会を通して、それぞれの優れたところを吸収しながら、自分なりの「社長」を確立していきました。
山口さんが、社長として最も大切に思うことは「信用」です。単純なことですが約束したことは必ず守ることで、「信用」を失わずに築いていくことができると言います。事実、米の取引の場面では、契約数量を実際の収穫量よりもかなり少なく設定しています。こうすることで不作の年でも約束した数量を必ず出荷し、会社の「信用」を高めていくねらいがあります。(つづく)