伏田直弘(45)さんは、つくば市で野菜類の有機栽培事業を行う「株式会社ふしちゃん」の代表取締役です。
自社農場「ふしちゃんファーム」では、ハウス58棟(14,000平米)において、コマツナ、ミズナ、ホウレンソウの周年栽培、ロメインレタス、パクチー(夏季)、イチゴ(冬季)などの栽培を行っています。現在の労働力は、社員7名とパート従業員15名、技能実習生が5名(インドネシア)です(取材時)。
経営のモットーは、「高品質な有機農産物を安定的に適正価格で販売すること」。
有機JAS認証を取得し、鮮度保持施設(自社施設)とコールドチェーンで、鮮度を保ったまま消費者へ届けています。年間の販売額は、1億2000万円。販売先は、有機野菜等を販売するオイシックス・ラ・大地株式会社(以下オイシックス)と生活協同組合を主な取引先とし、その他スーパー、地元飲食店、都内百貨店など多岐にわたっています。
自分でも勝負できる世界はどこに
伏田さんは、昭和53年(1978年)に大阪市天王寺区で生まれ、大阪のベッドタウンである兵庫県三田市で育ちました。
伏田家は教育熱心な家庭で、高校は大阪府内でも指折りの進学校に入学しました。高校では、医学部を目指しましたが、周囲は自分より頭の良い勉強のできる学生ばかり。伏田さんは「勉強のやり方がよくわからず成績も伸びなかった。」と言います。
医学部を目指して浪人したものの、合格圏内には届かず、ここで医師になる夢は諦めたそうです。そして、その時に「今の自分が勝負できる新たな世界に行こう。」と19歳にして強く感じたそうです。
農業経営者になることを決意
その後、九州大学農学部に進学した伏田さん。農業白書のデータを見たり農村の調査を行ったりする中で、「(当時の)農家の多くは、作物の栽培は得意だが、経営のことはあまり考えていないのでは?」と感じました。確かに1990年代は、現在と比べると農家の経営規模は小さく、自ら販路を開拓する企業的経営体もそれほど多くなかったという実情があります。そして自分が生きていく場所は、ここしかない、自分が農家になって「農業経営」をやろうと強く思ったそうです。そして将来、入学前から温めていた「農業経営者になる」という構想を実現することにしました。(近年の農業構造の変化は、食と学びページ:農業経営学講座①日本農業の構造変化と新しい農業経営学をご覧ください)
九州大学農学部では、2年次の後期で専攻する学科を決定します。遺伝子工学などいわゆるバイオテクノロジーが注目されていた時代。それらを研究する講座に進もうとも考えましたが、将来、自己の経営に役立つと考え、農業経済・経営学の講座に進むことにしました。
様々な体験を経て、「競争の激しいところには行かない。今の自分にマッチして無理なく活躍できるところを探して進む。」という考え方が伏田さんのベースとなりました。伏田さんは、自己の適性を踏まえ、未開拓の分野、ガリバー企業の存在しないニッチな分野に進出して活路を見いだそうとする、フロンティア精神の持ち主であると言えます。
農業はやり方次第では大きく成長できる分野です。ここで活動することを決めて、農業経営に新たに参入することを決心しました。
農場経営を経験するために大手外食チェーンに就職
2004年、農学部大学院修士課程修了に合わせて、手始めに、農業法人の求人情報が集まる「新農業人フェア」に参加して雇用就農の道を探りました。しかし、適当な就職先は見つからず、1200店舗を展開する大手外食チェーンに就職しました。会社では茨城県内に自社農場を設置して農業への参入をスタートさせていたところでした。社長は大分県出身で地元九州大学卒業生を高く評価していたこともあり、「農場で働く」という条件で就職を決めました。
始まりは自社農場から
就職した外食チェーンの自社農場に着任したのが、伏田さんの農業人生のスタートとなりました。
農場のミッションは、社内の各店舗(居酒屋が中心)に有機栽培のミズナやリーフレタスを供給することです。農場の施設は長さ30mのハウスが3棟で、従業員は伏田さんと先輩社員1名、それにパートで近隣の花き農家が働きにきていました。しかし、誰も有機栽培の経験はありませんでした。そのような中でも、伏田さんは、なんとかこの農場で収益を出して3人の人件費くらいは稼ぎたいと考えました。
自社農場で収益を上げるためには
伏田さんが注目したのは、有機野菜が高額で取引されている実態でした。そこで、まず近隣の有機農業法人を訪ね有機栽培の方法について学び、有機JAS認証も取得することにしました。
そして、自社農場に加えて、働きに来ていた花き農家の1haの圃場についてもミズナとレタスの有機栽培に転換してもらい、生産が安定し欠品リスクが少なくなる11月から、本格的な出荷をスタートさせました。
有機栽培技術も改善を重ね、農場の事業は、伏田さんが着任してから4年の間に年間100万パックを納入するまでに成長し、3人の人件費を賄ったうえで会社に利益を計上することに成功しました。
当初自社農場にそれほど大きな期待をかけていなかった本社は、「利益を出した」という快挙にたいそう驚いたそうです。
起業に向けた資金調達を学ぶために転職
就職先の農場で、有機農業における生産から販売までを経験した伏田さん。「農業にはお金がかかることがわかった。独立起業のためにお金の借り方を学ぼう!」と思い立ちました。
早速リクナビを使って、農林漁業金融公庫(現 株式会社日本政策金融公庫)に転職しました。
ここでは、農家や農業法人向けの融資を担当し、融資案件について上司に説明する経験を通して、「どうすれば融資を受けることができるか。」を理解しました。以降、これが伏田さん最強の武器となります。伏田さんは、「うちの経営の一番の強みは、潤沢な資金調達力にあります。そして、一点突破で、その事業が浮上するまで、資金を投入し続ける感じでやっています。しかし、一点突破だからどこに投資するかを間違えたら大変です。そのため投資する事業についてはとことん考えます。」と言います。
農業経営者のスタートはつくば市で
農林漁業金融公庫の7年で融資の実際を経験した伏田さん。いよいよ農業経営者になるべく行動を開始します。
伏田さんが始まりの地に選んだのは、つくば市でした。会社員の時から付き合いのある農業法人につくば市内の農地を斡旋してもらいました。
なぜつくば市を選んだかについては、「つくば市は、研究学園都市として全国区であり世界にも知られていて、本店所在地に必要な知名度があるから。」とのこと。
一方つくば市内の圃場は、比較的市街地に近いところにあり、農場で働く従業員を呼び込むためにも有利な立地を選んでいます。伏田さんは、現在、県北部の常陸太田市と福島県南相馬市に農場を作っていますが、いずれも近傍の市街地から車で15分くらいのところに立地しています。「市街地から遠い所に農場を作っても誰も働きに来てくれないから。」と言います。
2015年1月就農→有機栽培技術の再構築へ
ハウスを建設し、いざ野菜の有機栽培を始めてみると、就職先の農場での4年間の経験はあったものの、7年間の金融機関勤務の間に、栽培のやり方をすっかり忘れていることに気づきました。「何も憶えていなかった。」そうです。
「機械の使いかた、水をやる時間、適当にやったらやはり失敗しました。給水の時間が圧倒的に足りなかったのです。」
また農地は、元陸田で、水はけが悪くて養分のバランスも悪いという悪条件が重なり、有機栽培技術の再構築が課題となりました。
セミナーで土壌管理の方法を学ぶ
就農して1か月たったころ、独自の有機栽培技術理論の研究を行っているジャパンバイオファームの小祝政明氏のセミナーが千葉で開催されることを知りました。
伏田さんは、氏のことを「有機農業の定義を高品質・多収であると位置付けていることが、有機農業で儲けようという自分の考えにぴったり合っている。」と感じ、講師である小祝氏の著書を持って、土づくりの仕方などを学ぶセミナーに参加しました。そして、氏が講師を務めるセミナーを追いかけ計6回も参加しました。やがて、「あなた、毎回来るね。」と顔を覚えられたとか。
セミナーで得た情報をもとに、有機栽培での土壌管理の方法を理論的に構築していきました。
農研機構研究員のアドバイスを基に病害虫対策を構築
栽培1年目の野菜に害虫(主にアブラムシ)が大量発生し、収穫した野菜を洗って出荷する事態となりました。害虫の制御が大きな課題となりましたが、どのようにコントロールすればよいか、全く分かりませんでした。
そこで、2015年3月に農研機構が主催する天敵を用いた病害虫制御に関するセミナーが開催されることを知り、早速話を聴きに行きました。そして、講師を務めた害虫制御の研究員と名刺交換をして、害虫が大量発生している現状を伝え、制御の方法について相談しました。困りはてている伏田さんを見かねたのか、その研究員は、伏田さんの農場にも足を運び、具体的な害虫対策をアドバイスしてくれました。さらに、植物病理の研究員からも指導を受ける機会を得ました。伏田さんは、農研機構研究員のアドバイスを基に農場の病害虫対策を構築していきました。