下妻市の粟野寿広さんは、代々続くナシ園を継ぎ22年目になります。地域の若手生産者のリーダー的存在でもあり、規模拡大を続けながら後輩や新規参入者の育成に力を注ぎ産地をけん引しています。
現在の経営はナシ410a、水稲400a。ナシのうち半分以上を「幸水」が占め、そのほか、「恵水」「豊水」「あきづき」などを栽培しています。常時雇用を入れて、ナシとしては県内トップクラスの経営規模を実現しています。
中でも特に注目する点は、「ジョイント仕立て」(※1)による栽培です。まだ88aで、全体の割合からすればそれほど高くはないですが、生産性を高める技術として導入を進めています。
粟野さんが目指す将来と、産地に対する思いなどお話を伺いました。
(※1)ジョイント仕立て:苗木を列状に密植することで、早期成園化と作業動線が単純化されることによる省力化および作業の簡易化が期待される。規模拡大や雇用労力の活用に有効な技術。
代々続くナシ農家を継ぐ
粟野さんは1978年生まれ。東京農業大学を卒業して、すぐに親元で就農しました。24歳の時でした。
ナシの技術は基本的にはお父様から学んだそうですが、親子間で経験則を含む技術を論理的に伝えてもらったり、それを理解するのは意外に難しく、学ぶ意欲があっても就農当初は思ったようにいかなかったそうです。それを実感し、普及センター主催の農業学園や地域のせん定講習会などに参加し、外部から情報を取り入れながら自らの技術を高めていきました。「その苦労した経験があるので私は教えるのは上手ですよ。やり方ではなく、原理から教えます。説明は長いですけど(笑)」
経営を引き継いだのは、30歳の時。「引き継ぐことが決まってから面積を増やし始めました。でも、なかなか収入増にはつながらなかったので、ラジコンヘリ等、ナシ以外でもいろいろな仕事を持っていたほうが安定するだろうと思いました。」その頃得た経験は全部今に繋がっていると話します。
経営を安定させるために規模拡大
大規模経営をめざしたのは、「収入を得るためには面積を増やすしかない。出荷量を増やさなければ未来はないと思ったからです」。
就農した当時、ナシの面積は約200a。現在の約400aになるまで少しずつ確実に面積を増やしてきました。新しく増やす園地は、できるだけジョイント仕立てにしたいのですが、改植する場合は、植えてある木を伐採・伐根しなければならず、時間も労力もかかります。数年先の計画を立て、改植の労力を確保していくのはとても大変で、今はジョイント仕立てを導入しやすい、ナシ樹を植えていない更地の土地をなるべく探すようになってきました。
粟野さんになら畑を貸してもいいと言ってくれる方が増えてきたことも、ここまでの規模拡大の要因になったのではないでしょうか。
「現在、圃場は24か所に散在して、本当なら集約して団地化していきたいです。でも、個人ではなかなか難しい。関係機関の皆さんの力もお借りして、連携させていただけたらありがたいです。」とも話します。
ジョイント仕立てへの思い
はじめてジョイント仕立ての説明を聞いた時、「これはいい技術だ」と思ったそうです。早期成園化もでき、生産性の向上も図れる。これらのメリットに共感し、「そういう技術があるならやってみたい」とすぐに思ったそうです。
また、粟野さんがジョイント仕立てを導入する理由として、「今は経験豊富で技術のある父が一緒にやっているけど、この先、父がリタイアすることを考えると、従業員も高度な技術を習得していないと、現状の経営を維持するのは難しくなってくる。」という理由もあるそうです。お父さんは長年積み重ねられた技術を持っていますが、従業員がそのすべてを習得するのは難しいと栗野さんは考えています。ジョイント仕立てなら、そこまでの技術を必要とせず、経験が浅くても理屈で管理方法などを理解しやすいと。
下妻の梨産地でも、現在は親世代を中心に経営しているところが多いですが、もう少しで代替わりをせざるを得ない時代になってきます。その時までに、ジョイント仕立ての割合を増やしたいと考えています。
さらに収量の増加や、労力の削減もジョイント仕立ての大きな魅力です。実際、労働時間は慣行より約4割は削減できています。しかし、こんなにいいことずくめの技術に思えるのに、産地内ではなかなか広まらない。その理由の一つに、ジョイント仕立てを導入するには、一度お金をとれる園地を改植(リセット)しなくてはならないことがあります。
「成木を伐根して苗木を植え替えると、少なくても3~4年は無収入となってしまう。家や車のローン、子供の学費など、家族を養っていかなくてはならない多くの農家には、その余裕はない場合も多い。園地面積は、生活のために必要なだけの収入を得られる規模にぴったり設定されているんです。だから、現状よりさらに規模拡大しようと思える人でないと、ジョイント仕立て自体の導入は進まない。ジョイント仕立てを普及させようとするなら、まずは規模拡大をする意識を持つ仲間を増やしていけるかどうか、というところかと思います。」と粟野さんは言います。
特別賞(最優秀の農林水産大臣賞)を受賞
(左から2番目が粟野氏)
労働力と後継者
労働力は、常時雇用1名、研修生1名、春・夏の臨時雇用です。常時雇用の方は県立農大出身で独立就農を希望して入ってきたAさん。9年目になります。研修生は下妻市の地域おこし協力隊員の方です。Aさんに対しては、独立できるような心構えや技術を中心に教えてきており、特に「いつも誰かに見られていることを意識しなさい。」と話しているそうです。「あいさつはもちろん、粟野さんのところのお兄さんはすんごい働くの!っていう噂が立たないとダメだぞ。」と。そして「あの人だったら土地を貸してもいいと、地域からの信用を得ることがとても大事なんだよ。悪い噂が流れたら、もう先はないんだよ。」と話しているそうです。
技術的なことについては、「“なんでだろう?”と常に疑問を持つことが大切」と粟野さん。「そして、自分が後輩や研修生に聞かれたら、その理由をちゃんと教えることが大切。また、後輩に指導する場合でも、いきなり厳しく言っても嫌われて終わっちゃうから、普段からコミュニケーションをとって人間関係を構築しておくんだよ、と話しています。これも、経営主としては大切なこと。」と言います。
粟野さんには、二人のお子さんがいます。子供たちには自分の人生を好きに生きてほしいと思っています。また、自身の引退は10年後を目標にしているそうです。農業において、経営を移譲するのは早い方がいいと強調します。最低でも後継者の年齢が35歳までには譲らないと、後継者が思い切った経営判断、チャレンジなど何もできない。粟野さんも30歳で経営を引き継ぎ、規模の拡大にチャレンジしてきました。
大規模果樹園のマネジメント
作業などの予定表はスマホ上で1か月分をまとめて作り、ミーティングをします。具体的には、何日までにここをやり、何日までにここを仕上げる。その中で、自分たちの休養日は何日にするという予定を入れておき、雨が降ったら変更あり、くらいの大まかなスケジュールを立てます。
「細かい作業はその日の仕事が終わったあとに、明日はこれをやるよと、Aさんには伝えるようにしています。そこで、『予定よりちょっと遅れてるね』、みたいな確認もします。それを見ると、Aさん自身で徐々に計算するようになるんです。あと2日でこの畑は終わらせなきゃいけないなとか。そうすると、勝手に馬力がかかってくるのが横目で見てわかるんです。」
自分の仕事として自覚するようになってきたということですね。
産地全体で新規参入者の独立を後押ししていきたい
「これからは、下妻でナシをやりたい人を増やしていきたい。」と粟野さんは言います。「どんどん他から人を呼び込んで、産地としての生産規模を維持していきたい。」現在、粟野さんに続く大規模経営体も育っているそうで、目標は10名の規模拡大を志向する仲間を作り、産地を盛り上げていくことだそうです。
産地があって、個人の経営がある。だからこそ、産地を守らないといけないと粟野さんは強く感じています。「1人での大規模経営はあり得ない。日々の生活でもナシの管理作業は近隣に迷惑を掛けてしまうこともあります。でも、近隣の住民と仲良くわかり合ってやってきているんです。なぜかって、産地だから。産地として農家が多いし、ナシづくりが地域の風土として根付いているから容認されているわけで、たった一人で産地に残っても、もめごとで嫌になって撤退したくなりますよ。」と言います。
また、「市場とのかかわりも、一定規模の出荷量(ロット)を維持し、信頼関係を築けているからこそ、安定した有利な取引もできている。個人での経営では、マネジメントから販売を全部自分でやることになる。それができる産業や品目もあるが、自分のやり方を考えると、ナシでは難しいと感じています。だから、産地がないと個人も生き残れない。」と強調します。
経営の引継ぎをスムーズに進めるために法人化を検討
粟野さんはご自身について、「基本は、余計なことはあまりやりたくない、ナマケモノ気質です(笑)」と話します。それでもここまでやってこられたのは、たくさんの感謝しなきゃならない恵まれた出会いがあり、その人たちに後押しをされてきたからだそうです。「今後は、園地はもちろんですが、まずは従業員(新規参入者)を増やしたい。粟野果樹園の経営も、自分がいなくても回るようにしたい。色々とチャレンジしてきた疲れもあるので、少し楽になりたいのかも(笑)」
粟野さんのお話を聞いていると、程よく力の抜けた、飾らない素振りに魅力を感じる人が多いのではと感じました。
一方で、その言葉とは裏腹に、技術に対するあくなき探求心、誰よりも働こうというその姿勢が、若手のリーダーたる所以でもあると感じます。「まだまだ規模を拡大していきたいし、産地を守っていきたい。そのためにも、自分はナシ園を更地にして死んでいくつもりはなく、今、自分が育てている園地も、そのまま誰かに引き継いでいきたい。」という熱い思いを持っています。
当初は、常時雇用導入により、経営に家族以外の人を加えることも、かなり悩んだそうです。でも、これを越えていかないとナシ経営は一歩先に進めない。そう決断し、粟野さんは、常時雇用を導入する市場出荷型のナシ経営のモデルとして先駆けとなりました。現在は、後継者が誰になったとしても、引継ぎがスムーズに進められるようにと、法人化も検討しています。
粟野さんが思い描く、粟野果樹園のこの先と産地の未来がどんな形になっていくのか、これからも楽しみです。