JAやさと梨部会には、小幡梨選果場、園部梨選果場の2つの選果場があります。それぞれ約40年の歴史があり、各選果場において厳正な選果を行い、高品質な果実を出荷しています。出荷者は小幡梨選果場で27名、園部梨選果場が23名、合わせて50名の部会員が39haのナシを栽培し、選果場から出荷しています。
本稿では、栽培技術の確立などで産地を支える人たちを紹介します。
恵水の導入と栽培・収穫技術の確立に尽力
生産量全国2位を誇る茨城県の中でも、JAやさと梨部会は有数の赤ナシの産地です。出荷される主な品種は、「幸水」「豊水」「恵水」「あきづき」「新高」で、茨城県育成品種「恵水」は平成25年に栽培がスタートしました。
当時、園部梨選果場の場長で県梨組合連合会の副会長でもあった飯村健一さんは「恵水」の導入に尽力しました。普及センターと部会が一丸となり、3年にわたる試行錯誤を経て、現地に合った栽培技術を確立し、適期収穫方法について何度も検討を重ねました。
出荷開始当初は、出荷・販売のための準備を収穫と選果が終わった後の夜に行うなど、現在の出荷体制が確立されるまでに多くの時間と努力を重ねました。こうした努力が、「恵水」の安定した栽培や出荷につながり、栽培面積および出荷量は年々着実に増加し、令和5年現在では、31名の部会員が0.8haで栽培しています(写真1)。その根底にあるのは、適期収穫された品質の良い果実を出荷するという意識です。飯村さんは、場長を退いた現在も、石岡市での「恵水」の栽培・選果において、摘果の徹底や果実品質の規格を部会員に助言し、栽培の中心となり高品質果実生産に貢献し続けています(写真2)。
カフェとのコラボや輸出でPR
JAやさとのある石岡市では、収穫シーズン中にナシのPRを普及センター等関係機関と連携して行っています。 令和3年度は都内高級カフェとのコラボにより、石岡市の「恵水」がパフェに変身しました(写真3)。令和4年度からは、1万果に1つといわれる「幻の恵水」の取り組みに挑戦しています。
また、輸出による産地のPR活動にも取り組みました。令和元年に初めてシンガポール、香港へ、令和2年も輸出を行いました。令和3年はコロナ禍などにより、JAやさとからのナシの輸出はありませんでしたが、今後も機会を見て取り組む見込みです。
新規就農者が経営者に育つよう支援
JAやさと梨部会では、平成25年に石鍋一樹さんが新規就農者として(地域外から)就農しました。それから約10年、石鍋さんはJAやさと梨部会を支える戦力に成長しています。
石鍋さんは就農当時を振り返り、「就農した場所がJAやさと管内でなかったら、営農の継続は難しかったかもしれない」と言い、地域の生産者の助言や技術的支援によって、はじめてナシ経営者になれたと感じています。
JAやさと梨部会は、真剣にナシ経営に取り組もうとする方の自立を支援してします。
精神的な支柱となる最年長部会員
額賀智枝さんは現在96歳、JAやさと梨部会最年長の部会員です(写真4)。額賀さんが園部梨選果場にいることで、「みんなでナシのシーズンを頑張って乗り切ろう!」と生産者はやる気が出ます。額賀さんは30歳の時にナシ栽培を始め、現在まで変わらず栽培を続けています。肩の力が抜けた自然体で、いつもシャンとしているところが魅力となり、額賀さんは部会の精神的な支柱となっています。
66年のナシ栽培の間には、大変な時もありました。それでもシーズンオフに仲間と酒を飲んで騒いで、楽しい時間を過ごすと、フラットな気持ちに戻り、また翌年もナシと向き合いシーズンを迎えることができたそうです。96歳の現在、これまでもそうですが、家族の支えがあって初めてナシ栽培ができることを感じ、「家族が手助けしてくれるおかげで今もナシに向き合うことができる」と穏やかに話します。
変わらないもとの変えていくもの
令和5年に入り、経営面、効率化等の観点からJAやさと梨部会の小幡梨選果場と園部梨選果場は合併する方向に舵を切り、具体的な内容について協議を始めています。
JAやさと梨部会は社会情勢の変化に対応できるナシ経営を目指し、普及センター等関係機関と連携して、ブランドナシ産地を確固たるものにするため、これからも前に進んでいきます。