第1分科会では、基調講演でお話をいただいた(有)山口農園代表の山口貴義さんに、参加者のみなさまからの質疑応答も含めて、貴義さん個人が歩んでこられた道のりや、そこから生まれた会社運営に関する考えについてお尋ねしました。
さまざまな仕事を経験し、農家の婿養子に
貴義さんは、奈良県大和郡山市に生まれました。実家は自営業で、高校卒業後は、不動産会社、ラベルデザイン、通信機器の販売業など、農業とは全く縁のない仕事を経験していました。そんな中、長くお付き合いをしていた奈良県宇陀市出身の佐織さんとの結婚話が浮上。「安定した仕事」を求めて公務員試験を受け、奈良県職員となりました。
その頃、佐織さんの父、武さんが始めていたのが「有機農業」でした。その頃は休日にお手伝いをする程度だった貴義さんですが、義父に「法人化したいから、一緒にやらないか」と誘われ、2005年に、義弟とともに3人で「農業生産法人 山口農園」を立ち上げることになりました。
農園を離れ、農業資材の会社で働く
家族経営から、法人経営に変えていくためには、新しいルールづくりやその運営が必要でした。「“家業を企業にする”っていうのが、やっぱり非常に揉めました」と振り返ります。人の入れ替わりも激しく、課題が山積する状況の中、貴義さん自身も、設立から3年後に農園を「退職」することになりました。
そして、会社員に戻ることを選択。配属されたのは商品開発の部署で、全国の産地を回って現地の意見を聞き、技術担当に伝える仕事を担当しました。大きな組織の中で、生産から少し離れて、いろいろな形の農業を見ていく中で、「どうやったら人に伝わるのか」「どうなるとそれが流通するようになるのか」「PRする角度っていろいろあるんだな」などの気づきが生まれてきました。
新たな決意のもと再び農園へ
会社員として恵まれた環境にいた貴義さんですが、3年後に再び農園に戻ることを決断しました。農園では、人が頻繁に入れ替わる、つまり、長く勤めてもらえない、という苦しい状況が続いていました。「このまま山口農園がうまくいかなくて、潰れてしまったら、地域も守れなくなってしまう」そんな危機意識を持った貴義さんが、農園に戻る条件として提案したのは「月次会議をすること。社長であろうと何であろうと、そこで提案して、承認されたことしか、農園ではしない、させない」というものでした。
「社員さんがそれぞれ、1週間前から計画を立てていたのに、親方からその日言われたことで180度やることがころっと変わっちゃったら、それはやっぱりモチベーションが下がります。会社として、人を雇ってやっていくなら、この、独断でトップダウンができないようにする仕組みが必要だと思いました。でも、普通の会社であれば、会議をして決めるって、当たり前のことですよね」と、貴義さんは言います。
「こうなってよかったと思うねん」
2013年1月、義父の武さんが60歳になる手前で、貴義さんが代表取締役に就任し、武さんは会長となりました。しかし懸命に働き、農園の制度を整えながらも、貴義さんには迷いがありました。「お義父さんの作った会社をこんなふうにしてきたけど、お義父さんは本当にこれでよかったのかな。自分も会社を辞めてここで働くって決めたけど、この道を選んで本当に良かったのかな」
そんなある日の夜、一人事務仕事をしていた貴義さんのところに、武さんがやって来ました。「お義父さんが、『俺は、本当は納得できない気持ちもあったけど、実は今、こうなってよかったと思うねん』って言ってくれたんです。『どこに行っても、山口農園の悪い話を聞かへんし、むしろ、そういう仕組みで組織的にやってて、地域のためにもうまくやってくれてるって、どこへ行ってもそういう風に聞くねん。で、それを聞いたときに、今、この形にしてほんまによかったと思うねん』って、ふっと言って、ふっと帰っていったんです。そしたら、自分の肩がすーっと軽くなるのを感じました」
最後に
2023年6月現在、山口農園はスタッフ56名、栽培管理面積約10haを抱え、さらに発展を遂げています。すべてが順風満帆だったわけではなく、悩み、苦しむことも多いと笑顔で穏やかに話す貴義さん。会場からは多くの率直な質問が寄せられ、活気あふれる分科会となりました。
2022年11月には、山口農園がある宇陀市が、全国初の「オーガニックビレッジ宣言」を行うなど、有機農業の牽引者としての山口農園の活躍が益々期待されています。