私は富山県で水稲種子を栽培する農家の長男として生まれました。富山県は水稲種子日本一の産地で、我が地域が発祥の地です。そんな環境で育ちましたので、幼いころから農作業を手伝いながら過ごしてきました。教員になりたくて大学に進学するも、新卒で教壇に立つことに違和感を覚え、一旦社会に出ようと思い、「教育」の次に何がしたいかを考えた時に選択肢に出てきたのが「農業」です。ただ、これもまたすぐに実家で就農するのももったいないと思い、JA全農に入会しました。
しなくてもよい苦労をしないために
父親には「そのうち、俺が継ぐから」と言ってはいましたが、「いつ継ぐのか」「どうやって継ぐのか」「何から始めればいいのか」ということが全く分からず、ただ単に農家の長男だから継ぐというような状態でした。小さな家族経営だった我が家なので、「それは親子の問題でしょ」と思われるだろうなと思い、ずっと誰にも相談できずにいました。
そのような話を全農の業務で知り合う全国の農業者の皆さんにすると、「うちもおんなじだよ」という声がたくさん寄せられ、これは地域や品目、規模など一切関係なく、実は全国共通のみんなの悩みなんじゃないかと思い、全農の業務の一環にしてしまえということで、色々な取り組みを開始し、「事業承継ブック~親子間の話し合いのきっかけに~」を発行しました。すると、全国から大きな反響が寄せられ、「やはりこれはみんなの悩みだったんだ」と確信に変わりました。
しかし、ますますこの業務を展開していきたいと思い頑張っていたところで、ちょうど父親が体調を崩し、結果的に退職をし、実家を継いで就農しました。農作業は幼い頃からずっと経験してきましたので、いざ父親がいなくなってもある程度はできるだろうと思っていましたが、そんなことは全くなく「コンバインは操作できるけど、清掃やメンテナンスはできない」「肥料や農薬は散布できるけれど、発注はいつどうやってしていいのかわからない」など、父親がやっていた役割の多さをそこで痛感しました。病気や死、天災など、強制的なバトンパスの場合、しっかり準備していればしなくてもよい苦労がたくさん発生することに気付きました。
そこから、事業承継支援は私のライフワークになりました。本連載ではこれまでの活動で感じてきたことなどを書き綴らせて頂きます。何か一つでも、皆さんの実践につながることを願っています。
相続と事業承継は根本的に違う
相続と事業承継を一緒のものとして考えている方は非常に多いのですが、根本的に違うものです。事業承継と混同されがちですが、似て非なるものです(図)。
まず1つ目は、法的根拠とペナルティの有無です。相続は、皆さんが好きか嫌いかに関係なく、取り組まなければなりません。それは法律で定められているからで、ルールや期限を守らなかった場合は、ペナルティ(無申告加算税等)もあるわけです。一方で、事業承継を法的に定めているものはありませんから、当然ペナルティもありません。いつまでも先のばしにして、事業承継に取り組まなくても怒られないわけです。
2つ目は、進め方です。相続は面倒くさくても、進め方自体ははっきりしており、役所や専門家に聞きながら取り組めば、誰でもできるようになっています。一方で、事業承継は、相続ほどフローチャートが整理されていないので、個々の経営体で進め方から模索していく必要があります。
3つ目は、タイミングと期間です。相続は「死亡」というタイミングでスタートし、10か月以内に申告・納税というゴールが決まってしまいます。事業承継は、その方がやろうと思った日がスタートで、3年で、いや5年で、もっと長く10年で、というようにゴールも自由に設定できるわけです。スタートとゴールを自由に決められるというのも圧倒的な違いですね。
そして、最後、4つ目の違いは、服喪と祝意です。天皇陛下(現上皇陛下)の生前退位の事例がわかりやすいかと思いますが、昭和から平成と、平成から令和の改元時の大きな違いは、喪に服していたか、どうかです。服喪期間はみな自粛し、これからの将来の話をするという雰囲気になりにくいでしょう。一方で、平成から令和に元号が変わった時を思い出して頂くと、「天皇陛下、お疲れさまでした」「新しい時代の幕開けだ~」というような前向きな雰囲気だったのではないでしょうか。
経営者の最後の仕事は事業承継
農業に限らず、事業を営んでいる以上、「継がせる」か「売る」か「畳む」かの選択をいつかしなければなりません。しかし、この選択をしないまま、ズルズルと時間だけが過ぎている方も多いのではないでしょうか。
事業承継は、リレーのバトンパスになぞらえられます。そう考えると、今現在バトンを持っている経営者が圧倒的に優位な立場にいるはずです。現在の経営者がどう決断するかにすべてがかかっていると言っても過言ではありません。バトンを渡すことには大きな葛藤もあるかと思います。しかし、80歳、90歳になってもずっとバトンを持ったまま譲らないとなれば、後継者はどうなるでしょう。「ドライバーの最後の仕事は免許返納」と似ているかもしれません。「できれば免許はずっと持っていたい」「だけど事故を起こしてしまったらどうしよう」などと、色々な葛藤があるはずです。本人ももちろんですが、周囲も心配しているはずです。勇気を持って免許返納すれば、「車がない中でどうやって生活していくか」という次のことを考えることができるでしょう。勇気を持ってバトンを渡してしまえば、あとは皆がサポートしてくれるはずです。
「後継者が頼りないから譲れない」「親が言うことを聞いてくれない」といった言葉はたくさん聞いてきましたが、それでは先に進めません。次号で紹介する「事業承継計画」の作成を通じて、前向きに準備を進めていきたいものです。50歳でその計画を作成するのと、80歳でその計画を作成するのでは、意味合いが大きく変わってきます。早ければ譲った後の第二、第三の人生のことも考えられますし、とにかく余裕ができるはずです。
優れた経営者は自身の引き際の美学を持っています。ピークの時にさっと引く方もいれば、身体がぼろぼろになるまで引かないという方もいるでしょう。その方なりの価値観ですが、惜しまれつつ退いていきたいですよね。
「今日からはじめる 農家の事業承継」
この連載に書ききれないことは、2022年に出版した「今日からはじめる 農家の事業承継」に書いてあります。
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