この講座は6回掲載の予定です。
①日本農業の構造変化と新しい農業経営学 ←現在の記事
私は2022年度まで22年間、筑波大学で農業経営学を教えてきました。それ以前は農林水産省の試験場(新潟県上越市とつくば市)で、農業経営研究に携わっていました。大学の農学部でも農業経営学講座に在籍しましたので、振り返ってみれば45年間も農業経営研究の場にいたことになります。飽きもせずに、と改めて思いますが、興味を持ち続けてきた理由は、優れた経営者、すなわち新しい課題や領域に挑戦し続ける農業経営者の近くで、彼らが何を考えて、どのような経営行動をとるのかを見続ける機会に恵まれたからではないかと感じます。
私の実家は神奈川県西部のミカン農家で、今でも教員を退職した弟が畑のお守りをしてくれています。「経営」ではなくて「親が山を開墾して植えたミカンやお茶の畑を守ってくれている(販売はするが赤字)」のですが、そのことに意味がないとは思っていません。ただ、「産業としての農業」を考える場合には、肥料費、農薬費、機械施設の減価償却費、雇用賃金、借地料や資本利子、経営者や家族員の正当な労働報酬等を経費として計上した上で、さらに利益を出していくような経営である必要があります。
日本農業に関する既成概念と近年の状況変化
多くの国民はいまだに、日本農業について、老夫婦が細々と行っているというイメージを持っているのではないでしょうか。日本の農業経営は、平均値で見ると、農業従事者の平均年齢が65歳を超えているとか、経営体の平均耕地面積が3ha程度であるなど、従来の農業イメージ通りの姿であると思われます。しかし、平均値で見ても、全体像を正しく把握することが難しいということはしばしばあります。この点は、アメリカの農業経営も同様であるようです。アメリカ農務省が発行している「アメリカの多様な家族農業(America‘s Diverse Family Farms)」という報告書の中では、「平均値は経営規模間あるいは作目類型間の多様性を覆い隠してしまう可能性がある」と言い、売上規模別や作目別(作付作物や畜種別)に集計した統計データにより、それぞれの農業の特徴を見ることが重要だとしています。日本の農業経営も、まさしくそうです。経営体の数で見ると圧倒的多数は、小規模な農家です。しかし少数の大規模経営体が相当な販売金額割合を占めるようになってきており、2020年農林業センサスで見ると、全国で経営体数では2%しかない5,000万円以上販売する農業経営体の農業産出額シェアは52%となっています。2%の経営が52%の売り上げを占めていることになります。
また、他の既成概念として、非農家に生まれたら農業経営に参入することはできない、ということもあります。農業は閉鎖的な産業であるという思い込みです。私自身も、2000年頃まではそう思っておりました。2001年度に、非農家出身者で農業に携わる「新規参入者」を卒業研究のテーマにした学生がおりましたが、私は「王道の課題ではないな」と感じました。しかし、彼の同級生の中には、「新規参入」で有機農業を始めた若者がおり(現在も県内で農業を継続しています)、新規就農者の出自が大きく変化する曲がり角の年代だったのだと思い返します。以来20年が経って、非農家出身者の農業参入は増え続け、ついに2021年の新規就農者実態調査(農林水産省)によれば、49歳未満の新規就農者では農家出身者よりも非農家出身者の方が多いという結果が示されるようになりました。また、2009年の農地法改正以降、企業の農業参入も急激に増加し、2020年末にはリース方式で農業に参入している企業数は全国で3,800社余りとなっています。
農業経営学講座の計画
「農業いばらき」編集担当者のご厚意により、今回から6回にわたり、日本農業の動向を踏まえて、「新しい農業経営学」を提示する機会を与えて頂きました。私ごときが「学」を冠した記事を書くというのは、誠におこがましいのですが、「農業経営の新たな階層の動きを、経営学の学問体系を用いて、普遍化に向けて整理すること」を試みてみたいと考えます。自分でこのように表現しながらも、「ドン・キホーテが風車に突撃していくような」実に無謀な試みだと自覚はしております。大学を定年になったことだし、それも一つの志かとは考えますが、決して勝算があるわけではありません。
という訳ですが、次回からは、②販売から考える農業経営の姿、③有利な経営戦略のための経営間組織化、④経営成長のための雇用と人材育成、⑤農業経営の成長と地域との関係性、⑥産業としての農業の担い手は誰なのか、を各回のテーマにしたいと思っております。テーマ名は暫定なので、適宜変更する可能性はあります。
これまで私は、40年余りにわたって、「販売」を通じて農業経営者が成長していく姿、経営間の多様な組織化の様子、人的組織形成や従業員育成の重要性などの様相を見てきました。また、農業経営が多様化し異質化してきた中で、地域との関係性をどう考えるのかという、大変難しい課題についても、考えを整理してみたいと思います。さらに、最終6回目には、5回目までの内容を踏まえて、改めて農業の担い手を考えてみたいと思います。果たして、華麗に着地できるのか、殆ど論理が破綻してしまうのか、書いてみないと分からないところがあります。どうも私たち研究者には、「書きながら考える」習性が身についているようです。希望的観測を込めて申上げれば、この「農業経営学講座」は、整合性のある学問的到達点を目指すのではなく、多少の論理的不整合はあっても、「日本の農業・農業経営は、将来に向けて発展するエネルギーを持っている。なぜならば・・・」という事を述べていきたいと思います。読者の皆様に、1年後の目標達成に向けてご期待を頂ければ、大変有難く思います。