常陸大宮市野口(旧御前山村)で、イチゴの直売を柱とする「つづく農園」を経営する都竹大輔さん。都竹さんは、都内から旧御前山村にご家族で移住し、2007年(平成19年)ご自身が35歳の時に就農しました。
以来着実に経営発展を続け、2017年(平成29年)には、地域のリーダーとなる経営者として、茨城県から「茨城県農業経営士」に任命されています。
初めに、都竹さんの現在の経営について伺いました。
常陸大宮の地に立脚した直売経営
●イチゴ品種の豊富なラインナップ
現在の経営規模は、イチゴの施設が49a(本圃ハウス44a、育苗ハウス5a)、畑地が約300aです。
イチゴ品種では、茨城県が育成した「いばらキッス」が作付けの約半分を占め、同じく県育成の「ひたち姫」のほか「とちおとめ」、「紅ほっぺ」、「ルビードロップ」、「章姫」、「エンジェルエイト」が揃い、ラインナップは豊富です。
当初は「とちおとめ」が主力でしたが、直売比率が拡大していく中で、買いに来るお客様の反応を見たり要望を聞いたりしながら、独特のおいしさや地元スーパーでは買えないことを重視して、「いばらキッス」や「ひたち姫」を増やしていきました。
都竹さんは「私としては『とちおとめ』が味やつくりやすさの点で好きだけれど、「とちおとめ」はどこのスーパーでも買えます。直売所では、ここでなければ買えない品種を中心にラインナップを整えていきました。「いばらキッス」は酸味と甘みのバランスが良く、「ひたち姫」は酸味が抑えられ大ぶりなのが特長です」と言います。中でも「ルビードロップ」は、都竹さんが育成した農園オリジナル品種です。
つづく農園のイチゴは、茨城県内各地のイチゴ生産者が丹精込めて栽培したイチゴを出品する「茨城いちごグランプリ(茨城県いちご研究会主催)」において、第1回、第4回グランプリで金賞を受賞しており、味と品質は折り紙付きです。
●お母さんが働きやすい場所に
現在の労力は、都竹さんご夫婦を基幹とし、それをパート職員7名、就農を目指す研修生2名が支えています。
パート職員のうち5名は10年以上勤務している方々です。都竹さんは、就農1年目の収穫時期から、近隣の幼稚園児のお母さんをパートとして雇用し、午前の間だけ働きに来てもらうようにしました。お子さんの具合が悪くなり突発の休暇となった場合でも、それに合わせて自由にシフトが組めるように、パート職員を多めに確保し、だれかが休んでも仕事がまわるようにしました。小さなお子さんを持つお母さんが働きやすい仕組みを整えたことで、長く勤めてもらえ、結果的に経験豊富なベテランパート職員の確保に繋がりました。
また、つづく農園では、今まで3組の研修生を受け入れてきました。1組目と2組目の研修生は、いずれも常陸大宮市周辺地域で独立就農し、後述する「奥久慈いちご研究会」にも加入しています。現在の研修生2名は、30代前半のご夫婦で、隣の常陸太田市内での就農を目指し研鑽に励んでいます。
「今、農業高校や農業大学校を卒業しても、そこから独立就農へ進む道は狭く、諦めて農業法人の従業員になるケースが多い。つづく農園に来た研修生には、社会に出ても困らないように、『社会生活』とはというところから教育しています」と言います。
最近では繁忙期に高校生のアルバイトが来てくれるようになりました。SNSを通してではなく、直接農園に来て「働かせてください」と言われたそうです。農園は高校生のアルバイト先として人気があるそうです。つづく農園でのアルバイトなら親御さんも安心ではないかと思います。
●販促活動は若い世代をターゲットに
つづく農園の販売先は、農園の直売所が65%、地域の販売拠点の「道の駅常陸大宮~かわプラザ~」(以下 かわプラザ)での販売が30%、JAを経由した市場出荷が5%です。農園の直売所のお客様は、水戸市周辺など県内の方がほとんどですが、中には栃木県や都内から買いに来られる方もいらっしゃいます。国道123号のバイパスが完成したことで、農園へのアクセスは良くなっています。
ネット販売にはそれほど力を入れていません。その理由を尋ねると、「お客様には、常陸大宮の地に足を運んでもらうことが重要だと思うからです」という答えが返ってきました。
つづく農園に来るお客様の年齢層は年々に若くなり、30代の方が増えているそうです。農園では、この世代をターゲットとして、イチゴ狩りが楽しめる施設を拡充し、農園でSNS映えする画像が撮れることに力を入れています。これらの取り組みにより、「来園された方が新しいお客様を連れてきてくれます。SNSから繋がってつづく農園を知り来てくれる方も確実に増えています」と手応えを感じています。
新規参入から地域の核となる経営体へ
次に、都竹さんが都内を離れ、常陸大宮市(旧御前山村)への移住・就農を志した理由や、これまでの経過を伺いました。
●旧御前山村の地に惚れ込んで
就農以前の都竹さんは、建設会社で人事関係の仕事をしていました。採用担当で、社員募集のために全国の大学をまわる日々でした。
そんなある日、旧御前山村を訪れました。すぐにこの地がとても気に入り、「ここに住みたい」と強く思ったそうです。実家が飛騨高山で旅館を経営していたこともあり、最初はペンション経営を考えましたが、当時は周辺に十分な観光資源がなかったことからこのアイデアは断念しました。
そこで、もう一つの選択肢である「農業」を志すことにしました。農業の担い手が不足していることはニュースで知っていたので、ここにチャンスがあると捉え、ブルーベリーなど様々なベリー類を集め、摘み取りのできる「ベリー園」を構想しました。
就農相談に訪れた普及センターの勧めもあり、まずは、研修生の指導で定評のある水戸地域の八木岡努農業経営士に相談に行きました。八木岡経営士から「ブルーベリーは苗を植えてから収穫まで3~4年はかかりその間は無収入になってしまう。まずはストロベリー(イチゴ)を1年間しっかり勉強して、イチゴからスタートしてはどうか。そうすれば2年目から収益が上げられるから、そのほうがいいんじゃないか」と勧められました。
こうして、ベリー園開設にむけて、まずイチゴ栽培の勉強からスタートすることにしました。都竹さんは「まだ、ベリー園の夢は諦めてはいませんが、イチゴがこれほど忙しい品目とは思わなかったです。今ではイチゴ1本にしてよかったと思っています」と振り返ります。
●八木岡経営士のもと農家の心得を学ぶ
2006年(平成18年)3月から八木岡経営士の農園で、研修に入りました。後に、八木岡経営士に伺ったところでは、都竹さんは「日々の作業をしっかり記録し、これまでで一番優秀な研修生だった」とのこと。
「八木岡経営士からはイチゴ栽培だけでなく、農業は自分一人だけではできないこと、周囲との係わりの中で活動することがとても大切であること、やがては地域の核となって活動する責務があることを学びました。今それがとても役に立っています」と振り返ります。そして、農家になるということは、経営主になるという覚悟を持つことだと教えられました。
今、八木岡経営士の指導を受けた都竹さんは、家族との関係も含めて、自分のライフスタイルに農を取り入れ、地域をリードしていかなければならないと強く感じています。
●地域の集まりには積極的に参加、挨拶は家族全員で
八木岡経営士のもとでの研修に備え、その2か月前に常陸大宮市(旧御前山村)に家族で移住しました。当初古民家を探しましたが、適当な物件がなく、最初の住まいは市営住宅でした。
同時に農地を確保しようとしましたが、ここが良いと選んだ農地には地権者が6人いました。まだ、農業への新規参入自体が珍しかった時代。当然ですが、みな先祖伝来の土地を見ず知らずの人間に貸すことに抵抗を感じて、借地の交渉はうまく運びませんでした。そこで都竹さんは、研修開始前に家族で移住し、お祭りでも何でも地域の集まりには必ず参加しました。また近隣の方々への挨拶には、必ず奥様と子供たちを連れて家族全員で行きました。
こうした努力を半年くらい続けたころ、地権者の一人が「どうせ使ってない農地なんだから貸してもいいじゃないか」と言ってくれました。すると、他の地権者も貸してくれて、90aの農地を確保することができました。
都竹さんは、地権者と良好な関係を築き、近年では「ぜひ農地を借りてほしい」という方も多いそうです。
●徐々に直売の割合を増やす
こうして、就農した都竹さんは、八木岡経営士から学んだ栽培技術をベースに、普及センターの指導を受けながら、農園のイチゴ栽培技術を構築していきました。今、農園では、平年の収量は、10a当たり5tを超え5.5tに迫る年もあります。
販路については、JAへの市場出荷から、徐々に直売の割合を増やしていきました。イチゴ摘み取り園は、10年ほど前からラインナップに加えました。